あれから10年、アルジェリア人質事件を振り返る。
あれから10年、アルジェリア人質事件を振り返る。
覚えてますか?
タケです。
ちょうど10年前、2013年1月16日こと。
「アルジェリア人質事件」というプラントエンジニアはもちろん日本国民にとっても忘れられない衝撃的な事件がありました。10年たった今、ふたたび振り返ってみようと思います。
海外現場で働きたいという夢や希望とは対極的に死とも隣り合わせ、それが現実になった事件でした。
それではいきましょう、プラント百景スタート!
アルジェリア人質事件の概要
場所はアルジェリア南東部イナメナスにある英石油大手BPが関係する日揮のプラント建設現場。2013年1月16日の早朝(午前5時30分頃)、イスラム武装勢力により日揮の日本人スタッフ17人を含む多数の人質籠城事件が発生しました。
アフリカ西部マリの国際テロ組織アルカイダ系武装勢力メンバーによると、マリに軍事介入したフランスに領空使用を認めたアルジェリアに対する報復だと犯行を認め、その政府のセルヴァル作戦の停止、逮捕されたイスラム過激派メンバーの釈放などを要求した。
アルジェリア軍(政府)は翌17日、武装勢力と人質を乗せて施設内を移動していた車両を空爆、人質救出作戦を実行しました。
軍部隊が施設に突入して武装勢力側との地上戦にも発展。緊迫の作戦は数時間にわたり、結果的に人質23人(日本人関係者10人)、犯人グループ32人が死亡し20日に終了したと発表。
現地にいた日本人従業員17人のうち7人の生存と10人の死亡、警備を行っていたアルジェリア軍の兵士を含むノルウェーや英国・フランスなど10カ国の人々が死亡した大きな事件でした。
【場所】アルジェリア、イナメナス
【日付】2013年1月16日 – 19日(3日間) (CET – UTC + 1)
【標的】国際天然ガスプラントの労働者
【攻撃手段】待ち伏せ、攻城戦、人質事件
【武器】自動小銃、迫撃砲、地対空ミサイル、爆薬
【死亡者】被害者側48人、武装集団側32人
【犯人】イスラム聖戦士血盟団 (覆面旅団)
出典:Wikipedia
首に爆弾
40キロ先はリビア国境というアルジェリア南東部イナメナス。サハラ砂漠の真ん中にあるアルジェリア最大級の天然ガスプラント「ティギントゥリン」は同国の天然ガス生産量の約11%を担っていました。道沿いにいくつも監視カメラが設置され、軍の監視が特に厳しい治安の最前線でした。
重武装したテロリストはリビアからやってきました。正面入り口の検問所近くで従業員を乗せたバスを攻撃、プラントの襲撃が始まりました。
内通者がいたともいわれ敷地内部の情報を入手した武装勢力の周到な手口だったようです。また事件発生からの数日間を人質たちは首に爆弾を巻かれて過ごしたともいわれています。
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警備
一方で事件報告書によると施設の警備が不適切だったとも。2012年半ばくらい襲撃の数日前まで従業員によるストライキが行われていたこと、一部のスト参加者が外国人従業員を脅していたとも記されていました。
施設の警備体制は、内部を企業側が、外部を軍が担当していたとし、両者の協力や信頼関係が十分でなかったほか、企業側が警備面で軍に頼りすぎていたとも指摘しています。
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法も変わった
日本政府はソマリア沖海賊の対策部隊としてジブチに派遣されている陸上自衛隊のレンジャー部隊をアルジェリアに展開する作戦案も出ました。
しかし法的な問題から防衛省は不可能と判断、実現しなかったがこの事件をきっかけとし緊急時に自衛隊による邦人の陸上輸送を可能とする自衛隊法の改正が成立しました。
まとめ
海外プラント建設時のリスクはこの事件前からも不安視されていましたが、このように現実として発生してしまいました。
あれからもう10年です。
すっかり忘れてしまっている人もいるかも知れませんし、当時のニュースを知らない人もいると思います。もちろんあれからはこの事件を教訓に、様々な企業では社則やリスクヘッジや教育が整備され、そして法も変わりました。
とはいえあの頃と時代も進化し、それらを超えてくることも容易に想像できます。
日本という国が海外と比べて、いかに平和であることを知った事件でもありますが、これからもエネルギー資源はこのような国々から調達しなければなりません。
ありがとう、プラントエンジニアの人たち。
黙祷。